■もしも「調律師×ピアニスト」だったら 2007/04/05
波が揺れる水面。
海鳥の鳴き声。
鼻腔を刺激する潮の香り。
全てが全て、前に居た土地にはなかったもの。
いつまでこの地に留まるのかわからないが、相棒さえいれば、俺には充分だ。
「コレはどこに置きます?」
「ソレはこっちの部屋に運んで下さい。
あ、ソレは隣の部屋に置いて下さい。」
白い半袖のTシャツを着て、ツナギを着ている体格の素晴らしいお兄さんが4、5人大きな荷物を運んで家の中を歩き回る。
一際大きな荷物を運ぶお兄さんは、この部屋の主――小田切竜に確認を取った。
この梱包された荷物――グランドピアノは、どの部屋に運べばいいのか、と。
その言葉に、竜はすぐさま対応して、違う荷物を運ぶお兄さんにも指示を飛ばす。
引越し時に見慣れたこの光景は、運び入れる荷物が無くなってから終幕した。
「ありがとうございました。」
体格の素晴らしいお兄さんたちを乗せた引越しトラックを見送り、竜はこれから住む事になる我が家を見上げた。
白い木造作りの家で、紅い屋根には風見鶏が悠々と踊っている。
家の敷地内には大きな木が1本生えていて、どうやら桜のようで。
夏に入りかけている今では、艶やかな青葉を茂らせていた。
竜の家の両隣には家は建っていないが、少し離れた所に住宅街が広がっている。
小高い丘の上には学校が建っているのか、学校特有の鐘の音が響いてきた。
耳を澄ませてみると、少し音が外れている。
緑豊かなこの島――黒銀島は、本州から東に数十キロ離れた離島だ。
数時間舟に揺られて、竜は本州からこの島へ引っ越してきた。
だから、潮風に当てられて、ちょっと相棒が気になった竜は、早々に家の中へと戻る。
先ほど、引越し業者のお兄さんたちに運んでもらった部屋へと入って、窓を大きく開け放った。
そして、竜の相棒の前へ。
相棒、ソレは、艶やかな黒を纏った、グランドピアノ。
鍵盤の蓋を開け、軽く音を鳴らす。
ポーン...ポーン...
やはり若干調律が狂ったようで、竜の知っている音よりも半音上がって鳴り響いた。
やれやれ、と思いながら、調律するのを後回しにしてイスに座る。
鍵盤に指を置き、瞳を閉じて、深呼吸。
1回。
2回。
3回目に息を吐き出したところで、瞳を開けて、鍵盤を叩く。
滑らかに、早く。
優しく、けれども力強く。
自分の持てる最高の技術で、音を形成していった。
1曲。
2曲。
3曲。
指は止まる事を知らないかのように、次々と音を奏でる。
調律が狂っているなんて、微塵もさせないような音が響き、そして、止まった。
止めたのは、丁度3曲目が終わり、4曲目を弾き出そうとした、その瞬間。
見計らったかのように、拍手が送られ、竜はその手を止めざるを得なかった。
「いや~、凄いね。
この島にココまでピアノを弾く人間が居たなんて知らなかった。」
ニコニコと、開け放たれた窓枠に凭れかかり、竜に話しかけてくる男。
茶色い髪の毛を外にハネさせ、笑顔で曲の感想を述べていく。
竜が弾いた曲はどれも、一度は耳にした事のあるクラッシックの名曲ばかり。
それでも、男の感想はどれも、曲ではなく、音に対してされていた。
「けどそのピアノ、音ズレてるね。
直さないの?」
「今日ココに越してきたばかりで、荷解きしないと道具出ないから後回しにしただけ。」
「ふ~ん、そうなんだ。
あ、じゃあさ。
俺に直させてよ!!」
「...は?」
「俺ね、調律師なの。
ほら、これ道具。」
窓から若干身を乗り出した男は、そう言って竜に持っていたカバンの中身を見せた。
その中身は、確かにこの男の言うとおり、調律に使う道具で。
少々胡散臭い気もしたが、耳は良い様なので、竜はこの男に調律を任せることにした。
「俺、矢吹隼人。
お前は?」
「......竜...」
「竜ね。
じゃぁ、竜。
上がらせて貰うね。」
名前を聞かれ、一瞬戸惑った後、竜は名前だけを名乗った。
それに然して何も言わずに隼人は家へ上がることへの挨拶を竜にする。
竜が何か言う前に、隼人は窓から家の中へと入ってきた。
靴は窓の外に脱いで置いていたから驚きはしたが、非常識な行いに腹を立てるほど神経質でもなかったので、別段構いはしなかった。
隼人はそのまま、床に道具一式を広げ、必要なものだけ取り出して調律を始める。
ピアノ自体、大きなものなので、隼人はその周りを行ったりきたりするように動き回った。
「今仕事でね、この島に来てるの。」
「...え?」
「俺の話。
調律待っている間、竜暇でしょ?
だから、俺の話に付き合って。」
「.........」
「聞いてたら多分竜も気付いたと思うんだけど、この島の学校の鐘の音、音が若干ズレてるんだ。
だから、調律の要請が来てね、溜まった有給を使いがてら、この島に来てるの。」
視線はピアノに向けたまま、隼人は話す。
竜はちょっと離れた所にピアノのイスを移動させ、そこに座って話を聞いていた。
淀みなく動かされる手は、指の一本一本が爪先まで綺麗だ。
「後1ヶ月はこの島にいるんだ。
竜は?
この島に永住?」
「......考え中。
気が向けば、どっか違う場所に移る可能性もある。」
「はは。
竜ってば、猫みたい。
っと、コレで良いかな...?」
道具を適当に床の上に置くと、隼人は鍵盤の上に手を置いた。
一呼吸をしてから、指が滑らかに動く。
奏でられる、音。
ソレは、先ほど竜が1曲目に選んだ曲。
楽譜一面くらいの長さを弾いた隼人は、とても上手かった。
「うん。
竜、どう?
こんな感じで良い?」
「......お前、ピアノ弾けるンだな...」
「ん?ああ。
曲を聴けばね。」
「は?」
「俺、楽譜読めないの。
だから、誰かが弾いたのを聴かなきゃその曲弾けねぇんだ。」
驚いている竜をよそに、あっけらかんと言い放った隼人は、無邪気に笑んでいる。
対する竜は、その隼人の言葉に更に驚きが倍増された。
あんなおたまじゃくし、どうやったら音になるの?などと、かなり真剣な顔をして間抜けなことをピアノの前でほざいている隼人。
最初は驚いていた竜も、隼人の間抜けな一言に次第に驚きが薄れてきて、笑みがこみ上げてきた。
「ふっ...お前、面白いな。」
「お前じゃなくて、隼人って呼んでよ。
良いだろ?竜。」
「じゃぁ、隼人。
ピアノ弾くからそこどけ。」
「酷いわ、竜ちゃん!!!
一生懸命隼人君が調律したのに、労いの言葉もないのね!?」
「何でいきなりオカマ口調なんだよ。
まぁいいや。
助かったよ、隼人。
だからそこどけ。」
はーい。と無邪気な笑顔で微笑んで、隼人は床に広げた調律道具を片付けだした。
一つ一つ、丁寧に扱って仕舞う。
竜の相棒がグランドピアノのように、隼人の相棒は調律道具なのだろう。と片付ける隼人を見ながら、竜は思った。
「あ、竜。」
「......ん?」
「俺ココで竜のピアノ聴いてて良い?」
「...邪魔しなければ。」
「ありがと。」
屈託なく笑うその笑顔は、初夏の青い空に映えて見えた。