はじまりのはじまり
「魔王サマ...魔王サマ!!!!」
「...ん......、なぁに?
うるさいなぁ。」
あまり広くはない湖の中央で揺蕩っていると、そこへバシャバシャと荒波を立てながら進んでくる魔物が一匹。
魔王であるキラの側近、キサカだ。
人型をとってはいるが狼の耳と尻尾、鋭い牙と爪をもつ人狼の魔物。
キラはまるで抑揚のない淡々とした調子でキサカに一瞥をくれ、水の中で立ち上がった。
煩わしいと言わんばかりの声音を発しながら、キラは無表情だ。
何の感情も窺わせないその表情は、人間を殺める時も、同族の魔物を殺める時も、終ぞ変わらないもので。
この世界を滅ぼせるだけの強大な魔力を有す、魔王と呼ばれるだけに値するほどの、凍てついた表情でキラはキサカを見据えた。
「...何の用?」
「魔王サマが温泉旅行に出かけている間に、お城が何者かに占拠されたようで、近隣諸国の傭兵が魔物討伐に乗り出しています。」
「ふーん。
で?」
キサカの報告を聞く間も、表情は動かず、ただ眼下にある水を片手で掬い上げ、指の間を抜け落ちる様を視線だけで追っていく。
数度繰り返し、その行為に飽きたのか顔を上げたキラは全く以て無関心だ。
「...『で?』って...ほっといていいんですか?
仮にもあなたのお城なんですよ?」
「だって、あそこは元々人間のお城じゃん。
それを僕が住人滅ぼして手に入れただけだし。」
「そいつが自分を『魔王』だと言っていてもですか?」
「僕が『魔王』だと知っているのはお前ぐらいだから、態々正体明かしに行くのもバカらしいだろ?
僕はただのひ弱な魔物だよ?
人間を殺戮したいのなら構わない。好きなだけ殺せばいい。
誰が死のうと、僕には関係ないことだ。そうだろう?」
波紋を広げるだけ湖は、キラの心と同じく静かに水面を揺らしている。
キラは、自分が『魔王』だと名乗ったことは一度もない。
ただ、その身に宿す魔力が桁外れに強く、殺戮を無感情で成し遂げる絶対的な支配者だという事実が、他の魔物の頂点に立つに相応しいとされ、勝手に祭り上げられただけの事。
愛着もなければ、執着もない。
だがら、キラにとって、誰が『魔王』と名乗ろうが知ったことではないのだ。
「......勇者が、討伐に派遣された、と言ってもですか?」
「それは...時期が、必要だね。
うん。
下見程度に行ってくるよ。」
耳障りな単語が聴神経を刺激し、脳がそれを異物と判断を下す。
一瞬考えるような素振りを見せた後、キラは軽く跳躍してみせた。
水面から微かな水音を立てて、岸辺に着地する。
身体を包むように微弱な魔力を発生させると、それによりキラの身体に纏われていた水滴が弾けとんだ。
「...ん〜......」
軽く伸びをして、身体のラインが際立つぴったりとした白い服の裾を翻らせながら、歩き出す。
向かう先は、己の所有物だった、城。
仰ぐ空は、吸い込まれるほどの、蒼穹だった。
