有名人でした。
「こんばんは、ザフトです。」
車と人が行き交うスクランブル交差点。
立ち並ぶ建物を見上げると、仄かに青白い光を発している大型の液晶モニターが一面。
そこに、端正な顔立ちの男性たちの姿があった。
彼らは、ザフト。
ボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムの5人で結成されたバンド。
あまりよくは知らないが、老若男女問わずで人気があるらしい。
昼休みに同僚の女性たちが、今日の放送を楽しみにはしゃいでいたことをふと思い出した。
モニターをチラリと見て、左腕に視線を移した。
長針と短針が追い掛けっこをしているアナログな腕時計がそこにある。
20時43分
彼らは20時から始まっている歌番組のトリを務めているのだろう。
フードを目深に被った深い宵闇色の髪の彼が、モニターに映し出された。
表情は見えない。
一瞬だけ視界の端に捕らえ、キラは青に変わった歩行者信号を渡り始める。
急いで家に帰るために。
モニターはボーカルに切り替わった。
「ザフトのために!!」
肩口で切り揃えられた銀糸が綺麗な光を放つ。
マイクを通して凛と響く言葉の後に、割れんばかりの歓声が聞こえた。
彼を拾った夜も、こんな夜だった。
「ただいまー。」
突然舞い込んできた残業を片付けて急いで帰路に付いたキラは、自分の部屋に灯るあかりに頬を緩めた。
鍵を開けて部屋に踏み込めば、可愛らしく鳴いて主人の帰宅を迎える仔猫が一匹。
「ただいま、トリィ。
アスランは、また寝てるのかな?」
トリィと呼ばれた茶色いふわふわした仔猫。
キラの脚にすりより、問い掛けの返事とばかりにまた一鳴きした。
靴を脱いで短い廊下を歩く。
リビングの扉を開けると、入って直ぐの床の上。
仰向けになって寝ている彼がいた。
「またこんなところで寝て...
身体痛めるよ?」
「ん、ぅー...?
キラ...?ぉ、かえ...り、?」
「ただいま、アスラン。」
キラは床に転がって寝ているアスランに苦言を漏らす。
呆れを含む言葉とは裏腹に、声音はとても優しいもので。
アスランの傍らにしゃがみこんだキラは、寝汗で額に張り付いた宵闇色の髪の毛を指でちょいちょいと動かす。
少しむずがるような声を上げたあと、アスランは重力に従う瞼を押し上げて翡翠の瞳を覗かせた。
寝起きで幾分か幼くなった表情をキラに向け、上体を起こす。
両腕をキラに差し出し、こてんと頭を傾けて、表情乏しくアスランは宣った。
「キラ、...ごはん、に...する...?
ぉ、...風呂、...にす...る、?
、そ...れと、も...おれ......?」
アスランの両腕を自分の首に回させ、彼を立ち上がらせながら、キラは耳元で囁いた。
「じゃぁ、アスランにしようかな?」
冷蔵庫から小さな鍋を取り出し、火にかける。
中身はアスランの好物のロールキャベツだ。
火加減を調整してから電子ケトルに水を入れ、台座にセットする。
スイッチはまだ入れない。
洗って乾燥させていたまな板と包丁を調理台に置き、冷蔵庫からミックス野菜とトマトとパプリカを取り出した。
トン、トン、トン、とテンポよく包丁を動かしてパプリカを輪切りにスライスする。
お花の形に見えてとても可愛らしい。
流し台の上に設置されている収納棚から小振りなサラダボウルを二つ取り出し、ミックス野菜を半分ずつ入れた。
パプリカもバランス良く乗せる。
空いたスペースでトマトをくし型に切りって盛りつけてサラダの完成。
ラップをふんわりとかけて冷蔵庫に戻す。
今度は収納棚からスープカップを二つ取り出し、粉末タイプのコーンスープをそれぞれ入れた。
「......、きら...?」
「今行くよ、アスラン。」
扉の向こう側、お風呂場の方から小さいけれどしっかりとアスランの声がキラに届けられた。
鍋の火を消して、アスランの待つお風呂場へ向かう。
脱衣所で着ている服を濡らさないように裾と袖をまくり上げ、中に居るであろうアスランに一言かけて扉を開けた。
湯船に浸かるアスランは、薄ら頬に朱が差していて艶かしい。
未だ慣れる事もなくドキドキと暴れる心臓を押さえつけて、キラは浴室に入った。
アスランは浴槽に浸かったまま、顔は上を向いた状態で頭をキラに差し出す。
キラは慣れたように浴室の椅子に腰掛け、シャンプー液を自分の手に取り少し泡立たせた後、アスランの髪の毛を洗っていった。
キラが帰宅して直の、アスランの問い。
ご飯は、その言葉通り、一緒にご飯を食べるかどうか。
お風呂は、キラがお風呂に入るかどうか。
おれ(アスラン)は、アスランがお風呂に入り、キラがアスランの髪の毛を洗うかどうか。
そんな問いかけを、毎回アスランはキラに投げかけ、キラは決まってアスランを選択する。
深い理由は無いが、アスランの髪の毛を洗うのがキラは楽しくて仕方なかった。
初めてアスランを見つけて眠っている彼を、捨て猫だったトリィと共に拾った翌日。
キラは朝食を作っている間にアスランにお風呂に入る事をすすめた。
大人しくお風呂に入ったアスランだったが、すぐにずぶ濡れで出てきてしまった。
身体はちゃんと洗えているものの、髪の毛はシャンプー液を塗っただけの状態で眼に液が入ったのかポロポロと涙が零れていた。
曰く、髪の毛を洗うのがとてもヘタクソで洗わないか、いつも誰かが見かねて洗ってくれていたそうだ。
その日から、アスランが遊びにくる日はキラがアスランの髪の毛を洗うのが習慣となった。
髪の毛を洗われているアスランは、キラの手つきが気持ちいいのか柔らかいメロディーを口ずさんだ。
初めてキラがアスランの髪の毛を洗っていたときにも口ずさんでいたメロディー。
最近、外で良く聞こえてくる曲のサビの部分のメロディーだ。
「その曲、最近良く聞くようになったよ。
アスランがいつも口ずさんでるからかな?
耳に馴染んでて聞こえてくるンだよね。
確か、ZAFTってロックバンドの曲、だったかな?」
「ぅん、......そ、だよ...
ふわふ、わ...で、......ぽっか、ぽか......な、曲......」
髪の毛を洗う手つきはとても優しく、もこもこに育った泡を一度手で集めて落とし、アスランに断りを入れてからシャワーで泡を流した。
完全にシャンプーの泡を流し切ったら、次はコンディショナー。
毛先は揉み込ませるように優しく液を塗っていく。
「そういえば、あんまり聞いた事無かったけど、アスランもZAFT好きなの?」
「 、......う、ん...
好...、き.........」
好きと言った対象が自分ではないのに、なぜかキラは頬を朱に染め、心臓は壊れるくらいに高鳴った。
他愛もない話で何に対してか理解せぬまま誤摩化して、キラはアスランの髪の毛を流していく。
滑り気が無くなったことを手触りで確認して、アスランに洗髪の終了を告げて浴室を辞した。
